
日本の漫画についての見解
目次
摘要
プロローグ 1ページ
第一章 漫画の定義 1ページ
第二章 日本文化は日本漫画に与える影響 4ページ
(一) 漫画の取材 4ページ
(二) 関心の重点はハイテクから人類の感情に向って遷移 5ページ
(三) 個人の英雄主義から団体の英雄主義への転換 6ページ
(四) 病態の憂鬱な美 8ページ
第三章 漫画が日本文化に対する反作用 9ページ
第四章 まとめ 10ページ
参考文献
摘要
日前,日本漫画以及其周边产品充斥中国市场,由于对这一现象的关注,我选择了《对于日本漫画的见解》这个题目作为我的毕业论文。
《对于日本漫画的见解》这篇文章主要是围绕日本文化和日本漫画的之间的关系进行论述的。
首先从漫画的定义着手,通过对10部日本最受欢迎的漫画的描述,提出漫画的特征——“拿来主义” ,并提出本论重点:日本文化对日本漫画的影响。
在日本文化对日本漫画的影响这个话题中,从四个方面进行了论述。
第一是日本漫画的取材,由于日本的“岛国根性”大大促进了日本漫画事业的发展,又因为日本发达的出版业,可以轻易吸收异国文化的精华,使得漫画的取材十分广泛,涉及的领域也很宽广。
第二是日本漫画的关注点从高科技转移到人类情感,漫画的主题不再是科幻的高科技战斗机、机器人,而是转向人类情感的刻画,由于日本人暧昧的语言和态度,以及能准确把握他人思想的特点,使他们更善于情感的描写。
第三是日本漫画的个人主义到团体主义的转换,日本人十分注重团队精神,这一点在漫画中也被淋漓尽致的表现出来。
以及第四日本人病态的忧郁美,日本人的审美观也就是其它国家的人看来的颓废的、忧郁的美。就好像日本武士崇尚的切腹自杀一样,还十分在意姿势和美感。也正因为有了这样的狂热,才会有那么多耽美派的漫画作品受到关注。
之后从漫画对日本文化的反作用做了论述。阐述了“日本人为什么需要漫画”这一问题。从日本人为了排解社会带来的压力到释放对社会的不满,都是人们需要漫画的原因。还提到对于青少年的励志作用。
最后做了总结,叙述中日漫画创作上的区别,提出了要创造有“中国特色”的漫画。并且提出了对于如何看待日本漫画这一风潮的建议,我们应该以此作为对他国文化的了解的桥梁。
关键词:日本漫画、日本文化、影响、作用、《菊与刀》≫
摘要
今日の中国市場において、日本の漫画そしてその周辺製品があふれています。この現象はずっと注目されているから、「日本の漫画についての見解」と言うテーマを選ぶ所以です。
本稿では日本文化が日本漫画との関係をめぐって論を進めてみたいです。
まずは漫画の定義について、日本の人気がある十部漫画の説明を通じて、日本漫画の特徴を纏めて提出します。それは「模倣主義」と言われています。そして、日本文化が日本漫画に対しての影響、つまり、文章の本論の重点を提出します。
日本文化が日本漫画に対しての影響については、四つの部分に分けて述べようとします
第一は日本漫画の取材です。日本の「島国根性」は大いに日本漫画事業の発展を促進しますから、また日本の発達している出版業が漫画作者に異国文化の精華を提供できますから、日本漫画の取材、そして関連する領域がとても広いです。
第二は関心の重点はハイテクから人類の感情に向って遷移です。漫画の主題は以前のハイテク、ロボットではありませんが、注目点は次第に人々の感情生活の表現に移り変わりつつあります。日本人が曖昧な言語と態度、及び他人の考えを正しく推測ことができますから、感情の描写が、上手だと言えるでしょう。
第三は個人の英雄主義から団体の英雄主義への転換です。日本人が団体主義を重視する態度も漫画の中に完全に表現されます。
第四は病態の憂鬱な美です。日本人の審美観は他の国家の人から見ると病的状態の憂鬱な美、退廃的な美です。それは日本の武士が自分で自分の命を絶つことが謎狂みたいに、また姿勢のことも重視します。それなので、そんなに多くの耽美派の漫画作品が注目されます。
それからは、日本漫画が日本文化に対する逆作用を論述します。「どうして日本人は漫画を必要とすることですか」と言う問題を述べます。日本人は社会から受ける圧力を発散する道が必要ですが、その漫画の存在はこの道の一つです。また、若者の志を励ます作用にも触れてみたいです。
最後は、まとめることにします。中日漫画の創作について、違うところを述べます。そして中国の漫画家が「中国的特色を持つ」の漫画を書き出すことを大事にするのです。また、中国において、日本漫画が流行している現象について、それが日本文化を理解するには、最も便利なルートです。
キーワード:日本漫画、日本文化、影響、作用、「菊と刀」
日本の漫画についての見解
プロローグ
このテーマを選ぶ原因は今日の中国市場において、日本の漫画そしてその周辺製品があふれています。あれはただ若者の中で一時に流行しているファッションあるいはゲームだと一般的な人々がそう思うようですが、私がそう思いません。漫画化的な『新人類』の誕生が、新しい生活と人生の価値観を代表して、そして、一つの民族が別の民族の文化を容認することを意味しています。まさに80、90年代のように、欧米の文化を認めることに対してマクドナルドのファースト・フード、ナイキの靴をキャリヤーにして、新世紀、日韓の文化を認めることに対して漫画をキャリヤーにすることになります。私は文章の中で漫画と日本文化の作用を討論して、目的はこの文化が何かの利害があることなくて、漫画はどのように日本文化に影響したのか、日本文化はまたどのように漫画を改造したのかを探求したいだけです。漫画化が中国で時代の風潮になってなら、両者の間の作用を理解することができれば、本当にこの風潮に対する情勢に応じて有利して、利をもとめ害を避けることに役立つかも知れません。
第一章 漫画の定義
日本式の漫画の発展が今の圧倒性の風潮になる前に、漫画、通常の定義は一つの誇張の芸術です。『現代中国語辞書』(《现代汉语词典》商务印书馆 2002-6-1)の中で「漫」に対する説明は「制約を受けない、気軽なこと」です。すなわち、漫画は、簡単でそして誇張する手法で、生活或いは時事の図画を描写して、よく比喩、シンボル、変形という技法を運用して、皮肉めく効果を達成します。
豊子愷さんは我が国の有名な漫画家で、彼はかつて漫画の作品の創作原則について「画面が簡単で意義を重視する」と語ったのです。伝統的な漫画は普通、下記の三つの規則によって創作されます:一、誇張変形な手法で、主要な特徴を表出し;二、主体のイメージを誇張し;三、対比する手法が多く運用されます。
漫画には誇張と変形の特徴を持ちます。またあてこすることがあって、まるでマジックミラーのような物で現実生活の諸相を照らし出しています。そのため、初期の漫画はほとんど道義上で政治の勢力に抵抗する重要な任務を受けました。でも、個性化の社会の到来に従って、人々がますます自身の生活と感じの体験に関心を持って、かつて主に政治闘争に対してツールをしていた漫画が、いっそう人間的なベールを付けて、更に一般的な人の日常生活に近づけることになりました。そうすれば、もっと大きい生存発展の空間を取ることができます。この意義では、私達が近代的な漫画を取り上げて研究する時、すでに漫画の政治的な側面に興味を持ちません。
ここに影響が広くて人気のある日本漫画を10部取り上げてみたいです。
①『ドラえもん』:老人でも、若者でも皆好きな傑作で、アジアで発行して総量が他の漫画の作品に比べて、絶対に負けません。今なお新しいストーリを創作する事実が、日本の漫画界がその漫画を日本漫画の標識にしている意図があると証明します。
②『竜珠』:鳥山明が『IQ博士』を創作した後、更に有名な力作で、述べるのは『西遊記』の中の孫悟空を原型としての薩亜人の新しいストーリです。この長編の大作は『少年ジャンプ』の上で7年連載して、盛んな人気があるため、作者が逝去してからストーリの発展は変わらないことです。
③『CITY HUNTER』:探偵寒羽良の経典イメージを作って、北条司の最高峰の作品を称することで、鳥山明の『竜珠』と同じ、日本の漫画史で一里塚式の作品で、細かい感情の描写と徹底的なユーモアは持ちつ持たれつで、忘れがたいです。
④『喬喬冒険奇遇』:この作品が10数年の迫力にも言う必要はなくて、あのファッション式の絵の風と奇異なストーリの筋だけで名著の列に登ります。まして多くの知恵比べをする部分はもっと読者の興味を引き起こします。
⑤『乱馬1/2』:人を変形するに関してのストーリで、乱馬、乱馬の父親、そして乱馬の友達良牙、こんなに多くの笑い話を出します……ずっと高橋留美子が魔女だと思われるのは、彼女は平凡な情趣が誇張の手法で表現することができて、しかも操縦するのが自由自在だからです。これは高橋作風を代表する力作で、しかも影響力も高橋の以前のすべての作品を超えます。
⑥『異星奇竜』:ジェークとエーリは恐らく清水玲子が大好きな人物でしょう。この作品は読者に艾利の神秘的な身分を掲示しているけど、二人の微妙な関係をつなぎとめていることが知りたければ、多く清水のシリーズの短編を読んでみなければならないと思います。
⑦『スラム ダンク』:スポーツ漫画の中の経典を称することで、その影響力の大きさは甚だしきに至ってはスポーツ漫画の範囲を超えて、あのようなアジアをすべて巻き込むエネルギーが『竜珠』の後で近年来も珍しいです。井上先生はこれで急速にバスケットボールの漫画作品の巨匠になって、『スラム ダンク』は更に中国の漫画読者の心の中の永遠の「伝説」になりそうです。
⑧『天使禁猟区』:堕落する天使、退廃的な人類、世界を捨てる神様、愛と涙、火と風……すべてのことは由貴香織里の漫画作品から読み取れます。世界はすでに完全に占有されるようで、ずっと注目される『禁忌の恋』の題材の動かすことさえその光りに隠されてしまいます。
⑨『X戦記』:CLAMPの作品は皆人気がありますが、しかし、やはり『X』更にまばゆい光芒を包み隠せないで、言うことができるのはCLAMPが好きの読者さえであれば、『X』が好きでない人がいません。その他に、CLAMPの作品の中で、『X』は最も重要で最も神秘的な一部で、この点は『東京バビロン』、『CLAMP学園偵察団』の中の主人公は次から次へと『X』に登場する事実によって実証されます。
⑩『幽遊白書』:浦飯幽助の伝奇的な人生を描写して、不良な高校生から霊界の探偵に変身します。すばらしい人物が作って、細かい感情と在り来りではないストーリの筋を描写してから、富堅先生が一挙に漫画の大家になります。もちろん、『幽遊白書』が一番人気のある時、彼はむしろ商業の利益を捨てて芸術を求める偉い行為が、特に人に敬服の念を抱かせます。
日本漫画は欧米漫画の基礎の上で発展したので、日本式『模倣主義』の最大の特徴は、優れた他人の研究成果を取り入れて、自分なりの特色を加えながら消化します。漫画も例外ではなくて、日本漫画の始めが欧米漫画より遅いですが、でも今のアジア漫画の市場にとって、間違いなく日本漫画が欧米漫画に代わって天下に制覇します。日本漫画は欧米漫画と違う所は、日本文化は漫画を改造して、発展させる所にあるでしょう。
第二章 日本文化は日本漫画に与える影響
(一) 漫画の取材
文学芸術界において、独創性は第一の要と言われています。作品の創作でさえすべて題材の選択するのを大事にします。題材は正しく選んだら、作品はすぐ成功した半分だと言われます。たとえば絵画史は発展段階を区別させあげたら、一つの重要な根拠はいつ、どんなタイプの絵が主役を演じることです。漫画も同じ、それは存在して発展して、まず題材の上で絶えず突破口を探さなければなりません。日本の文化は開放、閉鎖その二つの文化特性があります。その密閉性はずっと民族の特色をしっかりと守る所に現れる、あれはどんな領域にも関わらず、その開放性の表現は積極的に自発的にその他の民族の優秀な文化を吸収することができる上に、自分がまだないのことでさえすれば、自分が後れていることでさえすれば、それは全て要ります。日本人はこれを「島国根性」と言って、まさにこの「島国根性」は大いに漫画事業の発展を促進します。
例を挙げて見れば、ディズニーは中国民間伝説の中から材料をとって年度の大著『花木蘭』を映って、ある人は西方の「東方文化のブーム」と称して、事実上、西洋文化は東方文化に近寄って、これがファッションではなく、必然です。東方文化と西洋文化が完全に異なっているタイプの文化のために、それらは自分を発展したら、先に相手のところから栄養を吸収して、相互の交流を通じて自身の完備を達成しに来ます。日本の漫画のこの一歩は西方の前を歩いて、それは自身の風俗習慣の中から題材を探して、またアジアの隣国更にはヨーロッパの各国の歴史文化の中から秘蔵の宝物を発掘して、例え齋藤千穂の『花冠安琪児』はルネッサンスの時期のイタリアを時代背景にして、水木杏子の『小甜甜』は20世紀初めのスコットランドを時代背景にします。
その他に日本の漫画は異国題材を利用する形式に拘らないのです。その中にディズニーと同じように直接に原著を改作することがあって、たとえ五十嵐優美子の『ロミオとジュリエット』と横山光輝の『三国志』のようで、またほとんど真実な歴史を背景にすることがあって、人が漫画を読みながら歴史を習うことができます、例の池田理代子の『ベルサイユのバラ』は金庸の義侠小説と少し似ている、大抵背景が真実だが、具体的なストーリの筋が架空で、もちろん、最も多いのは「情感を表現する」の作品、大和和紀の『ニューヨークの美人』、上原希美子の『マリアン』、冬木瑠璃香の『星座宮の神話』などはすべて、異国の神話と文化を背景にして、完全に漫画家自分の構想によってストーリを展開して行きます。
日本の漫画はなぜ世界の範囲で材料をとったのか、これが日本社会の二つの特徴のおかげだと思される、一つは日本人の強い知識を求めようとする意識だと言えるでしょう。日本が翻訳業と出版業はとても発達して、他国に価値がある新しい本が出るやいなやすぐ日本の本棚の上で日本語版を探し当てることができる、漫画家が作品の背景となる材料を割合容易に入手できます、もう一つは学術の思惟が厳格で、あのような必ず発言に根拠がなくてはならない研究態度は、日本人にたとえ一つの小さい問題としても真面目にちょっとした張りにならせることができません。漫画の表現方式はとても直接で、それは小説のような読者に大量の想像の空間を残さないで、もしも漫画家は異国の題材を選んで必ず異国の風情を書き出さなければならないなら、その漫画家はその他の国家の様子に詳しくないため筆を執る勇気がないかもしれないが、日本の漫画家はこのようにしてことはありません。彼らは、この二つの優位を頼りにして、漫画の材料収集の範囲を他の専門の領域へ広く開拓することができる、例えば、スポーツの領域、法医学の領域と財政経済の領域など、いずれも欧米の漫画家がかつてやり遂げなかったところです。
(二) 関心の重点はハイテクから人類の感情に向って遷移
欧米の漫画の中では、面白い生活の事を素材とする作品がたくさんあります。例えば有名な『父と子』と「落花生の漫画」は、そのようなものの好例です。日本漫画の中でもサイエンス・フィクションの題材の大著がかなりあって、例えば田中芳の『銀河英雄伝説』、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』もサイエンス・フィクションの作品です。しかしながら、日本の漫画の注目点は次第に人々の感情生活の表現に移りつつあります。情熱の少年の漫画とロマンチックな少女の漫画はその例証です。
もちろん、これも日本文化の影響に与える結果です。
東洋民族と西洋民族とは一つ大きい違うことは、東方民族は感情を表現する時比較的に含蓄です、内心の考え、感じ決して言語あるいは身振りで通じて赤裸々に表現することに避けようとしています。孔子は「無礼をして言うなかれ」を言ったことがあって、日常生活の中で、人々も常に「この時、声がなくては声がすることに勝つ」の境界を求めて、いわゆる「以心伝心」ということが好まれています。儒家の文化の発祥地の中国と比較して、日本人が喜怒などの感情を隠れる方面では、もっと上手です。ベーニディは何が日本であることを釈明する時、かつて次のように述べました。『感情が現れるのは恥辱で、これが自分を「暴露する」ためです。日本人が「誠実だ」一語を使う時、この語の基本的な意味は日本の道徳的な戒律と日本の精神の表示した「道」に沿って親切に前進する』(『菊と刀』浙江人民出版社 本尼迪·克特)。自尊心を持つのは「あなたがこの状況の中のすべての因子を含むことを精明に見積もらなければならないで、何か批判される或いはあなたの成功する機会を減る事を引き起こしません。」
顔色が変わらない表情、曖昧な言語と態度によって問題があります、もし日本人は本当にベーニディが言ったようなら、「恥辱感が日本人の生活中占有した最も重要な地位で、すべての人が公衆のその行動に対する判定に注意することを意味する。彼は他人が何を判断することを推測するのでさえすれば、それから他人の判断を基準にして自分の行動の方を確定するといいです。」(『菊と刀』浙江人民出版社 本尼迪·克特),それでは、彼は結局どのように他人の判断を推測するのですか。『曖昧な日本人』(广东人民出版社 李兆忠)の中で提供する解答は、日本人の感情が簡単に現れないため、時間の経つうちに、彼らの感覚器官は訓練されるので発達して、双方の間の微妙な関係を把握して、良い反応を作り出すことができます。
そこで、始めに出す問題に対して、合理的な説明を得ることができます:どうして日本の漫画は人々の感情の生活に投げることに関心を持つと言う事ですか。これは根本日本人の生活する重点のため、彼らはいつも他人の目の中で生活するので、彼らはいつも他人の自分に対する評価に関心を持つので、更に重要なのは、日本人は感情のことを描写することに対してその他の国家の人よりきめ細かいです。そのため、日本の漫画家は漫画の作品の中で、長所を利用し短所を克服して関心を持つ重点を人々の感情の生活に投げるのです。
日本の漫画がどうして重視する題材は生活で、サイエンス・フィクションではないことか、もう一つの理由は、『一筆で日本人を描写し難い』一本の神の道教の教義に対する概述から、「死は議論しないで、現実的な世界は神の現れること、充実させて過ごすのが一生人生の最大の意義で、未来を考慮しないで、生まれ変わりと来世を信じないで、天に昇らないで、土に入らないで、墓地は永久の居住地で、しかし魂はこの世界で依然としていで」(『一筆で日本人を描写し難い』:时事出版社 高增杰)、神の道教は日本らしいの宗教で、その教義は最も日本文化の特徴を体現していることで、神の道教の教義は未来を考慮しないので、ただ現実的な生活だけを重視して、それでは、日本の漫画はまたなぜサイエンス・フィクションの題材を重視したのか?
(三) 個人の英雄主義から団体の英雄主義への転換
この特徴は日本の漫画の中で表現するのがとても明らかなことであるはずで、『聖闘士星矢』から『竜珠』まで、『サッカー小子』から『スラム ダンク』まで、多くは情熱の少年漫画の出現が全体のアイドルの団体で、米国の漫画の中での神格化される英雄はあまりいません。その上米国式の英雄はいつもハイテクの武器を使って敵に打ち勝つが、日本式の英雄がもっと多いのは個人の粘り強い意志と戦友間の緊密な協力で勝利を取る場合が多いのです。意志力の効用に突き出るため、漫画家はよく非常に危険な場面を設けて主役達を取り立てることがあります。そして、生命の危険が近づいているところで、担う使命をどう思い出したのか、何か戦友の言い付けたことを彼らが力を入れて表現して、ついに肝心な時間で戦局を転換させて、逆転して勝ちました。
日本人の意志力に対する熱狂的な迷信について、ベーニディがとてもはっきりしているので、このために彼女は『菊と刀』の中でこのような急所をつく二段書いている:
「人々は書道を学ぶ児童が習字をして至る指感覚が麻痺したと停止するのは特に品格がいい行為だと思っています。近代的な小学校も暖房を止めるので、この点はよく賞賛されて、それが児童に未来の人生の様々な苦難に耐えることで鍛えることを得させるためです。」(『菊と刀』浙江人民出版社 本尼迪·克特)
「日本の精神のコントロール法の公認の原理は、意志は一番高い、更に何物もできる肉体よりも。肉体の自身は関心を持たない場合に、必然的に健康を損なうのがそうできません。日本人は「人情」の全体の理論に関してまさにこの仮説を基礎にします。人生に関して重要な事に出会って時、肉体の要求は徹底的に従属地位に置きされるべきで、これらの要求は健康に対してどのように必要に関わらず、これらの要求をふだんでどのように承認して一心に育成に関わらず、どの種類の自己の教養を代価に関わらず、一人で日本の精神を発揮するべきです。」(『菊と刀』浙江人民出版社 本尼迪·克特)
日本の文化は意志の力を迷信するだけではなくて、同時にも団体の力を迷信して、これに対して、ベーニディとグライアル各は素晴しい論述がある:
日本人は幼児の教育に対して工夫をして嘲笑と嫌な恐怖の心に対して育成します。子供は自分がいつあやされているのが分かりませんけど、しかし彼らは終にわかるでしょう。彼らは自分がいったん嘲笑を受けたことにわかったら、ついてくるのがすべての信頼と熟知するものを失うことを恐れます。彼が成年になった後で、他人の嘲笑を受ける時、彼は少年時代のこのような感じが覚えてきました。(『菊と刀』浙江人民出版社 本尼迪·克特)
……大家族或いは他の社会の小グループの効力を発揮する大多数の社会の中で、通常あるグループの一人の成員がその他のグループの成員の非難あるいは攻撃を受ける時、このグループは一致して団結して保護することができる……しかし、日本の情況はちょうど相反するようだ;人々はその他のグループの賛成を得る時だけあって、ようやく当グループの支持を得ることが確信する、もし部外者は彼を反対するとか非難するならば、当グループも彼を破棄して厳重に処罰することがある、本人が他のグループに非難を回収させることに至るまで。このような構造のため、外部の世界"の賛成は日本がその他の社会より並べものがない重要性にする。(『日本人の性格の構造』戈雷尔·杰弗里)
どうして少年漫画は団体の重要性を強調して、どうして少女漫画はいつも小さい団体に女子学生の気の毒運命を表現するのか、原因は以上の二段の論述の中から明確の解答を探し当てることができます。一言、日本人は腹の中から全体の世界に捨てられることが心配しているからです。
(四) 病態の憂鬱な美
『曖昧な日本人』は日本人がどうして桜を偏愛することに言及する時、これが桜の集合の美が日本文化と日本精神の一番優秀なシンボルだと言うことを説明して、例えば一本の花をいっぱいつけた桜樹が人にあげる感じが薄いだが、ただ花をいっぱいつけた桜林は人に春らしさを感じさせて、素晴らしい美しさです。日本文化と日本精神もこのようだ、それは、自由を進めないで、単独の日本人が将来の見込みがないため、それが進めるのは調和して、協力、チームワークの力がたくさんあるため、このような力が最も強いです。でも、集合の美の以外、実は桜は別の特徴があって、瞬間の美しさです。花期過ぎると短い時間内に落ちるのがたいへんきれいで、天地を覆い花びらが一瞬で散ると人の心を動かす壮観です。言ってみれば、これも日本文化と日本精神の一つの特徴です:壊滅を恐れないで、甚だしきに至っては落ち着いて壊滅を鑑賞することができます。
これは確かに日本人の審美観で、他の国家の人、特に西洋人から見ると病的状態の憂鬱な美、退廃的な美です。ベーニディがかつて例を挙げて日本人審美観は可笑しいのを説明した、彼らは戦争の映画を拍摂する時、映ったのは勝利の歓呼ではない、ちょうど兵士達行軍する苦難に満ちている、戦場上の血肉の横飛で、彼女は論説を済んで言って、これは西洋人から見ると、まったく最優秀な反戦の映画です。しかし日本人に称賛するのがこのようなタイプの戦争映画で、光景が悲惨かも知れないが、みんなが同じように見ながら涙を流してきた、でも同様に肯定することができるのは、私達の胸のうち、わきの情けは惜しいが、彼らの胸のうちがわきのは敬服することです。
もう一つの例を挙げてみれよう。人生は死ぬのが怖くて、人々が窮地に陥る時になっても、自分で自分の命を絶つ人は少ないでしょう。しかし日本の武士が例外、一冊が経典に尊んでされての『葉隠』の全本が「一名の武士として、いつでも自分の生命を献上する準備があるべきことを強調して、主張は偉業を遂げたいなら、必ず謎狂な境界に到達しなければならないです」(『禅と日本の文化』生活·读书·新知三联书店)。このために、日本の武士は切腹してだけではないが、しかもとても重んじる腹を切開する動作が規範に合わせる、美しくかどうかが、万事はよく極限に達している日本人、この方面の態度は本当に病的状態で夢中になっての形容しないわけにはいかないです。このように、私達もどうして『天使禁猟区』、『絶愛』、『東京バビロン』のように多い退廃的な唯美の作品が存在することが理解した、このような退廃的且つ耽美的なものがちょうど日本人の内心の需要に合うためのです。
第三章 漫画が日本文化に対する反作用
漫画が日本文化に対しての逆作用は「日本文化が漫画の発展に対する影響」に対しての言い方で、このような表現の仕方実は適切ではなくて、簡単な言い方は、「どうして日本人が漫画を必要とすることですか。」日本文化は確かに大きく漫画事業の発展を推進して、しかし日本文化は漫画の発展に対する影響が実際には結局で原因ではなく、この結果の元は日本人が漫画に対しての熱狂的な態度であり、結局彼らの需要が漫画事業の発展を推進したのです。
──それならどうして日本人は漫画を必要とすることですか?
その原因は日本の社会が個人に与える規格と制限はとても多くて、競争が激しいため、個人に与える圧力もとても大きいです。日本人は欲求を発散して道が必要で、まさに漫画はその一つの重要な道です。
これで日本漫画について他の問題を説明することができる、どうして日本の漫画の中で笑いぐさが盛り込められていて、真面目に話をしていた人を滑稽でおかしいQ版の人物にさせるのですか?解答は、アメリカの漫画は顔色変えないが、比べると日本漫画の変形する方がもっと簡明に直観です。一つの緊張を緩和した方式で、日本人がただ目だけを使いたくて頭を通じないで、笑い出すのを思われます。漫画は文化のファースト・フードの一種としてなぜ興るのか、原因はそれが小説の筋があって、しかしそれの図画式の表現は小説の文字式の表現よりずっと簡明で、日本人に合うのは地下鉄に乗って一つのストーリが急速に読んだりする事ができます。
また、多くの日本漫画の中の情景は日本の社会の現実と同じではありません。日本の漫画の中の情景は日本人の潜在意識のようで、彼らは日本の社会現状に対して不満であると感じて、それを打ち破って興奮があって、しかし彼らはこのような欲求を行動に付するとは限りません。私達は日本の漫画の中で多く率真な人を見ることができて、典型的なのは『GTOスパイシーの教師』の中の鬼塚英吉のような、極限的な手段をとって紛糾を処理しますが、事後にきっとみんなの理解を得て更には認められる──現実的な生活の中で、私達は事を進めて本当にこのようにすることができますか?答えはできません。私達もはっきり意識することができますが、これは漫画だけで、漫画はもともと一つの誇張の芸術です。
漫画のもう一つの作用は情熱の少年漫画の志を励ますの作用です。この点で最も「対話の作用」この語を使うことができる、日本文化は漫画の発展に影響を与えて、漫画は逆に日本社会にこのように影響します。少年漫画の中で、私達は多くの天才的な少年(『サッカー小子』、『スラム ダンク』、『竜珠』など)を見ることができて、また、絶えず努力して、最後成功した一般人(他が言わなくて、ただ一時を風靡する『バレーボールの女傑』が足りる、あれが『高く上がる青春』と言う漫画の改作によってです)を通じて多くのことを見ることができます。日本のこの学歴社会の中で競争することに負ける若者にとって、もしも彼らは本当に漫画の暗示を受け入れたのなら、「あなたは少しもいい所がないのではない、あなたはよい潜在エネルギーがあって、あなたの不十分なのはそれを発掘する努力と勤勉だ」、それでは、彼らは絶対情緒の谷間を出て行くことができる、自分の理想のために引き続けて奮闘していきます。
第四章 まとめ
まず、漫画を創作方面のことです。中国の漫画家は「中国的特色を持つ漫画」を創作すべきで、いわゆる中国の特色は必ず中国の題材を使ってとただ長い中国服のチャイナ・ドレスだけをかかなければならないのではない、かえってそれは中国人の価値観、審美観に合うべきで、私達の自分の日常生活を近づけた方がいいです。模倣して日本のモードをそのまま写したなら、たとえ更によいとしても、ただ両国の文化の風格とも備えない模写の作品だけ、白石が言ったでしょう:「私を学ぶ者は生きる、私をまねる者は死ぬ!」
その次、教育に関してことです。中国の家長式の思惟のモードは、新興の物事に対していつも高い警戒心を維持して、ちょっと何かが起きたら禁じます。このために、ゲーム機室とネットカフェを禁じられます。いかなる物事の存在がすべてその理由があることを考えてなくて、情況に応じて適宜に処理して問題を解決するのではなくまったく禁じても禁じることができないでしょう。どうしてゲーム機室を禁じて成功するのがこんなに容易ですか──あれはネットカフェが興って、ゲーム機室の機能に代わったためだけです!
漫画もこのようだ、多くの家長は心配で日本の色情、暴力の漫画が自分の子供に対する不良な影響を訴えて、すべての日本漫画を焼きたくてならなくて(事実上、露店本屋の上で売り出す日本の漫画の大部分が海賊版の作品だ)、実際には、簡単な禁じることは問題を解決することができないのです。日本漫画が中国の青少年に対する不良な影響を取り除いてしようと、最もよい方法は漫画に対して十分な重視を与えるのです。多く内容健康な漫画を創作し、子供達の読む需要を満たし(しかし中国が最後に自分の漫画工業を作り上げることができるかどうかがまだ未知数で、上の解答が「できない」そうで、また「林が大きくなってどんな鳥がある」を議論する、中国の漫画家が「中国的特色を持つ」の色情、暴力の漫画を書き出すことができるか?)、また努力して漫画の中の不良な成分を取り除きます。つまり漫画がただ若者の中で人気がある娯楽の方式で、自身は道徳判定の意義がないので、人々がどのようにそれを利用ことだけです。これが実はコンピュータとネットワークと同じに、たとえ、ビルゲイツが中途で学業をやめた創業に行くのも誇示する資本になりますけれども、多くの人が学業を荒れて、何も出来上がりません。
最後の点、最も重要だと思います、これはどのように漫画化の"新人類"の出現を評価することです。もしこれを「関係のあるすべてを愛する」の現象と説明のためならば、それでは、どれは重要のが、どれは次のですか?日本の漫画のよい影響の下で成長するので、そこで日本の文化を好きになった。また日本文化と中華文化の血縁関係のために、漫画の日本風格が欧米の風格に比べて更に受け入れやすいと感じますか。これは答えにくい問題で、これに対して、最も簡単な説明はもしかすると、大きい環境から見れば、アジア地区の経済の急激な発展は古い東方文化の魅力を再現させる、小さい環境から見れば、日韓の両国はアジアの経済が今の先頭として、その文化のモードは他国の重視を受け始めて、裏が必ず経済発展を速める文化の要素を含むと思っています。
私達普段の言うような「ファッション」、「味わう」、実際にはよく先進国の国民の生活様式と生活の興味に追随することを意味して、同様で、「新人類」は日韓の文化を受け入れることが好きで、これも先進的な文化がその他の文化に対して強烈な吸引力と感化力を持つことを見られるべきです。漫画がその中での作用、彼らに日韓の文化を理解してそして追随する最も簡便なルートです。
参考文献
日本語参考文献
1、『菊と刀』 浙江人民出版社 本尼迪·克特
2、『禅と日本の文化』 生活·读书·新知三联书店 铃木大拙
3、『日本人の性格の構造』 戈雷尔·杰弗里
4、『一筆で日本人を描写し難い』 时事出版社 高增杰
5、『曖昧な日本人』 广东人民出版社 李兆忠
6、『漫画と表現』 評論社 佐藤忠男
7、『少女マンガが映す心のかたち』 学陽書店 藤本由香里
8、『武士道』1938 岩波文庫・1997 三笠書房 新渡戸稲造奈良本辰也訳
中文参考书目
1、《现代汉语词典》 商务印书馆 2002-6-1
2、《漫画国事论坛》《三栖人》 内蒙古人民出版社 1999年7月
3、《情绪管理学》 中国物资出版社 刘芳编
| 4、枫心情驿-动漫驿站网址:http://maplecartoon.home.chinaren.com |
