外国语学院
成人教育本科毕业论文
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2013 年5 月
论文正式封面式样
外国语学院
成人教育本科毕业论文
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论文提交日期: 年 月 日
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苏州大学外国语学院成人教育
20XX届学士学位论文
中日両国の茶文化の比較
中日两国茶文化比较
专 业:××日语
学 号:××××××
作 者:×××
年 月
中日文论文摘要式样
摘 要
本研究以分析研究中日两国的茶文化关联和差别以及一系列问题为目的。论文首先对中国茶的起源和茶文化的发展等进行论述,在此基础上通过追寻有关中日两国各个时代茶文化交流的历史过程,说明日本茶文化是由中国茶文化发展而来的事实。其次,通过日本茶道文化与禅文化关联、从日本茶道看日本人的“和”精神等来表现出日本与中国茶文化的差别。最后,对现在两国茶道的形式差异产生的原因进行探求。
关键词: 茶文化 关联 差别 交流历史 禅文化 “和”精神
要 旨
本研究は、中国と日本両国のお茶文化の関連と差別及び生み出した一連の問題と課題を分析することを目的としている。まず中国の茶の起源と茶文化の発展などを論述した。それに基づき、中日両国各時代茶文化の交流の歴史的経過を追うことによって、日本の茶文化の歴史は中国の茶文化の歴史の発展に沿って発展して来との事実を説明した。次に、日本の茶道文化論禅文化の関连、日本茶道から見た日本人の「和」精神などを言って、日本と中国茶文化の差別をあらわれした。最後に、現在両国の茶道の形式の差異が生じる原因についてを探求した。
キーワード:茶文化 関連 差別 交流の歴史 禅文化 「和」精神
日文目录式样
目 次
はじめに……………………………………………………………………………(1)
第一章 お茶の起源………………………………………………………………(2)
第二章 中国のお茶………………………………………………………………(5)
2.1 中国の茶文化の発展 ……………………………………………………(5)
2.2 中国の茶道 ………………………………………………………………(6)
第三章 日本のお茶………………………………………………………………(9)
3.1 お茶の転入 ………………………………………………………………(9)
3.2 日本の茶道 …………………………………………………………… (10)
第四章 中日両国の茶道の比較……………………………………………… (13)
4.1 茶の葉の種類 ………………………………………………………… (13)
4.2 茶道の規則と過程………………………………………………………(14)
4.3 国民の性格 …………………………………………………………… (14)
4.4 茶道の中の美意識 …………………………………………………… (14)
おわりに………………………………………………………………………… (16)
参考文献………………………………………………………………………… (17)
謝辞……………………………………………………………………………… (18)
はじめに
中国は茶の木を最も早く発見し、利用した国であり、お茶の故郷とも言われている。お茶を飲むことはずっと中国人の生活習慣の一種になっている、人々の日常生活の中の不可欠な必須品だということがわかる。お茶はずっと早くから中国から日本至る全世界へ伝えられた。日本では、お茶は日本人にとって最も親しみ深い飲み物であり、「日常茶飯事」という言葉が示すように、お茶は日本人の日常生活に重要な構成部分である。「茶道」は、日本の伝統文化と宗教のことに結びついて、日本民族の独特な気質と風格を備わった日本の特有の総合的な文化ということである。今、日本の茶道は厳格な規範と独特な精神で、世界のお茶文化の主流になっている。それで,我々はお茶の起源と中日のお茶の文化の発展からその異同を対比することについてもっと観客的な事実を探求しなければならないと思っている。まだ不足なところがたくさんあり、ご指導をくだされば幸いと思う。
1、お茶の起源
飲茶については中国では長い歴史と古い記録がある。「茶之為飲,発乎神農氏」陸羽の『茶経』にそうのべている。紀元前2700年頃の事、中国古伝説中の帝王であった炎帝神農は医術の神と言われ、人々に火の使い方や、食べ物の採り方などを教えた。ある日この神農が釜で水を沸かしていたところ、数枚の木の葉が釜に入り、これを一緒に煮出すと香り良く、水色も美しく、さらに飲むと味も良いので、人々にこれを教えた。実は、これが茶の葉であったと言われている。茶に関する最古の資料として、前漢の宣帝の時代の王褒が奴隷売買の契約書を基に著した「僮約(前59年)」という書物に、「武陽買荼(武陽で荼を買いなさい)」、「烹荼尽具(荼を煮る道具を整頓しなさい)」といった記載があり、その時からお茶を飲む活動は次第に王候貴族から一般の庶民へと広がった。
中国は茶の木を最も早く発見し、利用した国である。「茶者,南方之嘉木也」紀元200年頃、『尔雅』に野生の茶の木に関与する記載がある。茶樹の起源に関しては、近年来研究の進歩から、大体中国をその原産地とすることにほぼ異論はないようである。そういった中で、橋本実氏はおおよそ茶樹の起源の中心地を雲南、四川に特定している。
中国はお茶の命名、お茶についての知識,茶の木の栽培、茶の葉の加工技術を世界に伝えたのであり、世界の茶は直接あるいは間接に中国の茶と緊密な連係がある。
2、中国のお茶
2.1中国の茶文化の発展
三国以前茶文化は啓蒙する。茶は物質形式として他の人文科学にしみ込んで、それで茶文化を形成することが出現していた。
晋代、南北朝茶文化の萌芽。統治階級と文士はお茶を利用して、素朴な生活習慣を提唱して、士大夫たちはお茶を礼として、茶に関連した詩詞歌賦も多く出て、茶文化の発展を促進した。
唐代の茶文化の形成。唐代は封建社会の繁盛期で、経済の発展、消費の普及につれて、茶文化の形成をよく推進した。780年陸羽は「茶経」を著したことは、唐代の茶文化形成のシンボルである。それは茶の自然と人文科学の二重性を含めて、飲茶芸術を研究して、儒、道、仏を飲茶中に入って、中国茶道精神を創造していた。唐代形成の中国茶道は宮廷茶道、寺茶礼、文士茶道と分かれている。唐代の茶文化の成形は禅の勃興と関連している、寺院は飲茶を提唱、寺周囲に茶の木を植え、茶の礼を制定して、茶の堂を設けて、茶の端を選んで、専ら茶の活動を行う。
宋代茶文化の栄え。宋代の茶には大きい発展がすでにあって、茶文化の発展を推進して、文士中出に専門飲茶社会団体を顕わしている。役人組成した「スープ社」が、仏教徒の「幹人社」など。宋太祖は特にちゃを好んで、宮廷に茶の機関を設立する。茶は貴重品として国外使節に与賜う。つきましては下層社会、茶文化はさらに活発で、民間の斗の茶の風は起きて、お茶を煮る、採集、加工などいろいろな変化が起きた。当時、唐代の団茶に成り代わって、碾茶(ひきちゃ)あるいは挽茶(ひきちゃ)と呼ばれた抹茶が主流となっており、匙でかき混ぜたり、茶筅やササラ状の竺副師という道具などで点てて飲んでいる。
明、茶文化の普及。茶の品種の増加、お茶を入れた芸事は以前と違って、茶器の様式、素地、紋様はおおくなっている。清朝茶の輸出は正式な業界に発展して、茶書、茶仕え、茶詩は数え切れない。
2.2中国の茶道
茶道という言葉は中国で千年以上を使ってきた。中国人はお茶を飲むのは最初薬用ということである。唐代になると、お茶専門家の陸羽が我が国の製茶、飲茶、さらに茶道の精神を形成するための基礎を築いた『茶経』を書き著した。即ち、これは中国の茶文化が薬用から引用に、実用から精神文化になることの転換点である。『茶経』の中で、「精、行、倹、徳」との四字は中国茶道の本質として提出された。
中国のお茶文化は儒、道、仏の精華を吸収して、「中庸」、「禅と茶の合一」、「天人合一」を重視して、自分の精神を形成し、茶の「道」になっている。ここで「道」という言葉がお茶を飲むことによって煩悩を払い、得道に至る、という考えである。中国の文化は儒家思想と中庸を基礎として、人と人、心と心、人と自然などの関係を調和することを強調している。そして、この民族精神も茶道の中に表現される。そのため、中国の茶道は自然美を高く評価して、人を主体として、和を提唱して、身心の享受を追求するということである。「茶道」はお茶を仲立ちとして、生活する中での儀礼なので、、精神の修養の一種の方式だとも思われて、茶を入れること、評価すること、そして飲茶することを通じて、友誼を増進し、審美の心を納得することは、礼儀作法を学ぶ上で、とても役立つ一種の睦まじくして楽しい芸術となるである。
3、日本のお茶
3.1お茶の転入
唐代は茶道の形成期で、この時代日本は中国に大量の遣唐使を派遣して、茶道は日本に伝えられた。最初、奈良時代に日本の僧侶最澄と弘法大師空海が唐へ留学して仏教を研究して、帰国した時、中国から団茶法を移入されて、その時、喫茶の習俗が始まったという謂れがある。
宋と元時代の中日交流はとても頻繁である。大势な日本人は中国へ行くことができし日常的と実践的な中国茶文化がもっと深く理解すれることもできる。武士の間に闘茶が行われ、茶は民間にも普及した。この時の中日茶文化交流といえば、中国へいった高僧栄西と話なければならない。栄西は中国での見聞によって、その時の抹茶の点茶法を記録した。1214年栄西は著した『喫茶養生記』は日本で最初の茶の本とされ栄西自身は茶の開祖ともされている。日本茶道の創立に基礎を打ち立てるということである。
3.2日本の茶道
日本の茶道は主に中国の禅宗思想を反映した。また禅文化は日本の伝統文化の中で重要な内容である。敬と寂という思想は禅宗からきたものだ。敬とは真如の前にみんな平等の地位を持つという意味だ。茶室に入って身分を言わずお互いに尊敬する。つまり茶室の中には平和の世界である。寂とは静寂でどんな時にも動かないで静かな心を持つという意味だ。それだけではなく「茶禅一味」という思想も室町時代になると五山僧の間に次第に定着していった。ほかには日本茶道の形成は仏教との関係もある。清という思想は仏教の「清らかである」ということから来たのだ。千利は茶道が“ない中に全てあります”、“1がすぐ多いです”の禅宗の思想を基礎にするべきなことを提唱してはいけなくて、すべての人為的な装飾を取り除いて、至簡の至素の情趣を求めます。ここから日本に“お茶の禅が隠しますと”の言い方があって、茶道もそのため修行を積む精神と交際の礼儀の道になります。
一方、日本人の精神は、しばしば「和」精神といわれている。「和」というと、妥協やなれあいをイメージする人もいるだろう。しかし、真の「和」精神には、生命と宇宙の法則も現われているのである。日本茶道のなかで精神は、人と人の間の「和」だけでなく、人と大自然との「和」、さらに、人と茶道具との「和」も含まれている。日本茶道観によると、あらゆる茶道具は生きているものであり、人々に尊重されているという。また茶道具に作者の名前をつける場合もある。
4.中日両国の茶道の比較
4.1茶の葉の種類
中国の茶は二つに大きく分かれた。一つは基本的な茶であり、もう一つは再加工の茶である。基本的な茶には緑茶、紅茶、青茶、白茶、黄茶、黒茶、六つある。再加工の茶は前の六つの茶を原料として再加工後の茶である。その中には花茶、圧縮茶などがある。
日本の茶道に用いられた茶は主に緑茶である。そして茶の産地、栽培の方法、茶を摘む時期、茶を作る方法によって煎茶、ひき茶、玉露茶などの名前が付けられた。
4.2茶道の規則と過程
茶道の中での規範は人生の道徳心を涵養するために重要な内容であり、茶道の活動の各方面に含まれている。茶道を修行する人はその過程の中で礼儀、姿勢、順序、位置、服装などいろいろな規範を守らなければならない。茶道の活動にあるマナーは茶道の種類によって違う。
日本の茶道の規則は禅宗寺でお菓子を食べる規則から来たのだ。僧侶たちは朝ごはんと晩御飯だけ食べ、お腹が空くのでお茶を飲み始めた。現代の日本の茶道は面積の小さい優雅の茶室で行われる。茶室の中には珍しい骨董や掛け軸が壁に掛けてある。真中にはお湯を沸かし、器具が置いてある。茶室は飾り方によって違う。
4.3国民の性格
中国の茶文化は中華民族の伝統に影響され中華民族の性格を反映した。中国は礼儀を重視する国と言われたとおり茶文化は友達同士の友情や家族同士の愛情を体現する。茶を飲む形によって友達になるということは一般の庶民の中に普及されているのではなく集団や国の礼儀にも用いられる。そして日本より庶民化を持ち礼儀と形に拘らず、実用性を大切にする。
日本ではそれと反対に、厳しい形式を守り道徳を養成するために茶道の活動を行う。それは日本民族の発展と深い関係がある。個人は生きていくために周りの環境がどれほど悪くても我慢する。苦しい状況の中で人間関係や、仕事をうまくいくためにいつも自分のことを我慢する。最後、日本では厳しい身分制度を実行し規範と礼儀を重視する。茶会中厳格なコースを守り形式的な話を言わなければならない。その点から見れば、日本の茶道は本当にお茶を飲むのではなく、人間に礼儀の教育を行う道徳修養の儀式である。
4.4茶道の中の美意識
中国の茶道の中にある美意識は茶道の活動中のメロデイ、対称、対比、異同、自然、対応比例などを通して表す。対称の美は中国の古典美学にある規則であり、バランスと安定性を持つ美学だ。茶道の活動の中で静態の物事の対称もあれば動態の物事の対称もある。人の位置や茶器の並び方などは中心線を基準として並ぶ。また、お茶を入れる動作や体の姿を対称的に行うことを通して観賞側に目や心を楽しませる効果が出る。自然の美は人類が自然に対する追求から表す。
日本の茶道の美意識の主旨は「素朴」ということである。それも禅の本質である。村田珠光は素朴な美を重視しお茶を飲む時日本産の器具を使うことを主張した。千利休は既成の美意識に拘らず小さい茶室を造り朝鮮の陶器を導入し茶道を庶民化する。
終わりに
本論文は中日の茶文化の発展と差別から、中国茶文化は日本茶道への影響と各自の文化特色について述べてきた。茶文化は中国で起源するだけでなく、中国で発展し続けて、今も国民の日常生活の中に融合して、文化は飲茶活動の中に表現して、現代の大衆茶芸を形成している。日本茶道は中国茶文化の補足として、東方文化の中で「茶道」文化は大きく影響力を与えるである。日本茶道と中国茶文化は同源であるが、表現形式が違うである。これらの差異が生じる原因とその社会効果について探求と研究を行う価値があると思う。
参考文献
[1] 牧田成一.2003.「文化能力基準の作成は可能か」『日本語教育』.118号.
[2] 益岡隆志.2000.『日本語文法の諸相』.くろしお出版.
[3] 冯昭奎.2005.《日本经济》.高等教育出版社.
[4] 赵刚.2010.<日语元话语标记的用法与功能>《日语学习与研究》.第4期.
[5] 大河内了義.1995. 『異文化理解の原点』.第4期. 法蔵館.
[6] 倉澤行洋.1992.『日本茶道文化概論』. 淡交社.
[7] 陳香白.2002.《中国茶文化》. 山西人民出版社.
[8] 鄭培凱.2009.《茶與中国文化》. 広西師範大学出版社.
[9] 謄軍著.2004.《中日茶文化交流史》. 人民出版社.
[10] 陶立璠. 1996.《中国民俗学概論》. 勉誠社.
[12] 岡田啓助. 2001. 『日本文化を知る』. おうふう.
[13] 石毛直道.1981.『東アジアの食の文化』. 平凡社.
[14] 黄志根. 2000.《中華茶文化》. 浙江大学出版社.
[15] 朱永和. 2003.《中国飲食文化》. 安徽教育出版社.
謝 辞
本論文の結びにあたり、本研究を行うことにおいて、指導教官の***先生からきめ細かいご指導をいただき、誠に感謝いたします。大変お世話にまりました。また、日本語科の張長安先生や宮本先生からも貴重なご意見をいただきました。ご指導、尽力をいただいて、感謝の意を表します。