
文学概観:古代前期は5世紀ごろから8世紀までの間を指す。4世紀の時、大和朝廷が統一国家成立を成し遂げた。7世紀に、聖徳太子の改革によって、「憲法17条」が定められた。7世紀に『古事記』、『日本書紀』には「まこと」という文学意識が芽生えていた。4世紀ごろに、大陸から漢字が伝わって、漢字で表記できるようになり、記載文学が始まった。
口承文学:長い間、子々孫々に言い継ぎ、歌い継いで、伝承された神話、伝説、歌謡、祝詞などを口承文学と言う。
祝詞:古代人は言霊信仰によって、神への祈りの言葉を祝詞と言う。現存する28編は「延喜式」の27編、「中臣寿詞」の1編である。
宣命:天皇の勅を臣下に伝える和文体の詞章である。「続日本紀」の62編は現存する。
記紀歌謡:『古事記』に収められた古代の歌謡、曲約190曲、『日本書紀』に収められた古代の歌謡、曲約130曲。両者の重复を除くと、約200曲、これを記紀歌謡と言う。
長歌:五七、五七、…、五七、七の形式で、すなわち五七を三回以上繰り返し、最後を七音を加える。
短歌:五七五七七(漢字が5+7+5+7+7=31字)だけで終わる短い和歌。
旋頭歌:五七七を2回繰り返した6句からなる。
「まこと」:個人が現実生活の体験を元に生まれた個人的な真な情感である。
「あはれ」:「まこと」のもとで生まれて、恋愛への詠嘆或いは死者への追慕であり、個人の心より発する感情や情緒というものである。後、「あはれ」は物を対象とする「もののあはれ」という文学理念に変わりつつある。
『古事記』(歴史書):和銅五年(712年)に太安万侶によって編集され、序文と上、中、下の3巻からなっている。上巻はすべて神話伝説から成り、天地創立の初めから語り出す。中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までを収める。変体漢文体を採用し、歌謡の形式、対句と反復を採用し、万葉仮名(中国汉字标日本读音)を採用する。目的は国内的に思想の統一を図る。今まで保存している日本最古の書籍である。
『日本書紀』(歴史書):養老四年(720年)に舎人親王などが編集する漢文の編年体で書かれたものである。漢文体で書いた30巻に、巻一、二は主に歌謡で書かれた神代で、巻三~三十は編年体で書かれた歴史。表現形式には漢文体(歌謡を除いて、記述部分は純粋的な漢文体)である。目的は対外的に、先進国中国に対して、日本の優勢を示す漢文体で日本の歴史を述作した最初の正史である。
| 作者 | 成立 | 巻数 | 内容 | 目的 | 特色 | 表記 | |
| 古事記 | 稗田阿礼が誦習 太安万侶が撰録 | 和銅五年(712年) | 三 | 上卷(神代) 中卷(神武~応神) 下卷(仁徳~推古) | 国家統一的政治的意図が中心 | 神話、伝説、歌謡など文学的 | 変体の漢文体 |
| 日本書紀 | 舎人親王 | 養老四年(720年) | 三十 | 一、二卷(神代) 三~三十卷(神武~持統) | 天皇中心の国家を对外的に誇示 | 異伝など史書的な性格が強い | 編年体 純粋の漢文体 |
『懐風藻』:751年に淡海三船(未定)が編纂された。日本の最古の漢詩集である。
『万葉集』:日本最古の歌集であり、全20巻、約4500首歌が収め、340年から、奈良末期の759年まで作られた。編者は大伴家持(おおとものやかもち)です。内容から見ると、雑歌、相聞歌、挽歌、比喩歌、東歌、防人歌などがある。形式から見ると、長歌、短歌、旋頭歌などがある。天皇や皇族から一般庶民に至るまで、幅広い層の和歌を収録している点が最大の特徴。表記は万葉仮名で、史的評価は現存する最古の歌集、和歌という文学形態を完成させたことである。『万葉集』は日本古代における一つの偉大な作品として、芸術的にも、思想的にも、優れたところがある。また、われわれはこの作品を通じて、日本古代の文化思想、社会風俗、人間関係、両性関係、それに、古代の農民生活、兵役関係などの面影を見ることもできる。さらに、外来文化摂取の旺盛な意欲と伝統的文化の強い生命力との作用が均衡になっており、古代国家上昇期の社会現実が生き生きと描かれている。
| 時期 | 歌風の特徵 | 代表的な歌人 | |
| 万葉一期(発生期) | 舒明天皇の時代から壬申の乱まで(629~672) | 1、朴素で、清新 2、明るく、のびやか 3、五音、七音への動きが進む | 額田王(女流歌人) 舒明天皇 天智天皇 |
| 万葉二期(発展期) | 壬申の乱から平城京遷都まで(約40年) | 1、雄大にして荘重 2、長歌が中心の抒情性 | 柿本人麻呂(典型的な宫廷诗人、万葉中最高の歌人、歌聖) |
| 万葉三期(最盛期) | 平城京遷都まで天平5年まで(710~733) | 1、大陸思想、文化の流入 2、個的の自覚 3、清澄な叙景歌 4、苦の哀感 | 大伴旅人 山上憶良 山部赤人(歌聖) |
| 万葉四期(衰退期) | 天平6年759年まで | 1、理知的、技巧的 2、固有の力強さを失った 3、感傷的、繊細化 | 大伴家持(759年に『万葉集』の編纂を完成) |
文学概観:古代後期は平城京遷都(794)から鎌倉幕府の成立(1192)までの約400年間を指す。律令政治は9世紀初め急速崩壊し、9世紀中ごろ藤原良房が摂政となり、11世紀初め、藤原道長が権勢を独占し、11世紀後半白河天皇が院政を始める。平安初期(平安遷都から10世紀中ごろまで)、漢詩文が盛んで、和歌は不振で、この時代を「国風暗黒時代」と呼ぶ。9世紀末、遣唐使が廃止され、国風文化が芽生える。10世紀初め、『古今和歌集』が編纂され、和歌は漢詩文と肩を並べ、隆盛期に入った。物語や日記も仮名で書き表されるようになった。平安中期(藤原氏全盛時代)で、10世紀から11世紀まで、宮廷女流日記文学(物語、日記、随筆)が開花した。平安末期、貴族階級が次第に没落し、武士階級が掘起する。歴史物語が作られ、最大の説話集『今昔物語集』が編集された。
物語:形式から、作り物語(虚構による創作の物語)と歌物語(歌を中心に構成された物語)
作り物語(伝説を生かしつつ創出された物語)―――竹取物語、宇津保物語、落窪物語
歌物語(和歌を主題とする物語)―――伊勢物語、大和物語、平中物語
↓
源氏物語→擬古物語(中世)→御伽草子→仮名草子→浮世草子
現存する最古の作り物語『竹取物語』は、『源氏物語』で「物語の出で来はじめの祖」と評された。歌物語の最初の作品である『伊勢物語』は、和歌と散文とを融合させ新しい物語文学の世界を切り開いた。日本古典文学の最高傑作である『源氏物語』は、作り物語の空想性と歌物語の叙情性と日記文学の自照性など、先行文学の流れを集大成した長編物語である。
歌謡:謡い物としての上代の歌謡は貴族に受け継がれて、神楽歌、東遊歌が神事に用いられ、催馬楽、風俗歌が遊びの宴で謡われた。
朗詠:漢詩や和歌もメロディーをつけて歌われ、「朗詠」と呼ばれる。
今様:当世風の歌謡の意味で、催馬楽、朗詠などの古風に対して言われた。
「もののあはれ」:時代の不安感につれて仏教思想の無常観や宿命観が誘発され、感傷的·耽美的な「もののあはれ」の美意識が深められ、これが平安文学の基調である。
「幽玄」:奥深い繊細で表現の外ににじみ出る余情である。
『古今和歌集』:延喜五年(905)、醍醐天皇の勅命によって、紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑が編集した日本における最初の勅撰和歌集。約1100首の和歌を、春部、夏部、秋部、冬部、恋部、などの部立てによって20巻に分類する。この整然たる組織は、勅撰集の手本となった。また、その序文は仮名序(紀貫之)と真名序(紀淑望)とからなる。歌体は長歌、短歌、旋頭歌の三種で、短歌が大部分である。『古今集』には、漢文で書かれた真名序は紀淑望、仮名序は紀貫之が執筆した。『万葉集』と比べ、感情が繊細に、調べが流暢になり、理知的である。縁語、掛詞、擬人法などの技巧が巧みに運用され、優麗典雅な日本的な美を代表する。『古今集』長い間、日本人の美意識の原典として文学の規範となった。
| 時代 | 特徴 | 代表歌人 | |
| 第一期(全体の4割) | 読み人知らず(作者未详)の時代 | 歌風は素朴で、明快であり、恋歌が圧倒的多い。前代よりもっと洗練になった。 | 小野篁 |
| 第二期 | 六歌仙の活躍した時代(古今歌風が確立時代) | 七五調が主流となり、技巧的になったがまだ率直な歌風 | 六歌仙[在原業平(『伊勢物語』の主人公)、小野小町(美人としての評判高い女性歌人)、大伴黒主、文屋康秀、喜撰法師、僧正遍昭] |
| 第三期 | 撰者の時代(古今歌風の完成期) | 縁語、掛詞、比喩などの修辞が盛んに用いられ、表現がより洗練され、心情を理知的に詠む、優美で繊細な「古今調」が確立した。 | 紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑 |
一、最初の勅撰和歌集であり、和歌の社会的地位を漢詩と同等にまで引き上げ、以後の勅撰和歌集の選集の契機となった。
二、その整然たる構成や配列は、後続和歌集の手本となり、その歌風は明治時代に至るまで、長く和歌の規範となった。
三、紀貫之の「仮名序」は、和歌の本質、機能、歴史、有名な歌人の批評などを述べ、仮名文字で書かれた最初の本格的な文学論として、その文学史的意義が大きい。
『竹取物語』:9世紀末~10世紀初め頃、口承文学として伝えられたもので、『竹取の翁の物語』と『かぐや姫の物語』とも言う。現存する日本最古の物語で、「物語の祖」と言われ、空想的、ロマン的な作り物語である。天女を主人公として描かれた作品である。
『伊勢物語』:日本最初の歌物語で、10世紀初め頃に成立し、『在五が物語』、『在五中将日記』、『在中将』と言われるが、藤原清輔の袋草紙以降は『伊勢物語』と呼ばれる。した125段の短編で、理想の男性を中心にした作品である。
『堤中納言物語』:12世紀の平安後期の作品で、『虫愛づる姫君』『貝合わせ』などの10編の短編よりなる物語で、日本文学史における最初の短篇小説集である。恋愛を主題とするものが半数ぐらいある。各編、趣向がそれぞれ異なって、人生や社会などの断面を覗くことができて、登場人物や事件にも新鮮さが見られる。
『源氏物語』:1008年、紫式部に書かれ、全書は54帖で、100万文字に及ぶ王朝物語です。4代約80年間にわたり、登場人物は400人余り、内容上、次の三部に分けられる。
第一部(1.桐壺~33.藤裏葉) 光源氏を取り巻く華麗な絵巻の日々·陽性
第二部(34.若菜上~41.幻) 若さから老いへの流れの淋しさ·孤愁
第三部 (42.匂宮~54.夢浮橋) 次代の薰を取り巻く求道心と恋の日々·憂愁
特徴は虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、文章の美意識の鋭さである。日本文学史最高の傑作とされる。
『源氏物語』から現れた文学思潮:写実的な「まこと」とロマン的な「もののあはれ」、これは成熟した王朝貴族文化の頂点を極める最高の美意識と言える。奇を追求せず、世の中や人間の心に潜んでいる真実を写実的な手法で描き出しつつ、自然、人事に対する観照が非常に細かく、「もののあはれ」で全編の雰囲気を統一させる。江戸時代の本居宣長は『源氏物語』の本質は「もののあはれ」にあると主張する。
『栄花物語』(1093年):『栄華物語』とも書き、仮名文で書かれた日本最初の歴史物語で、正編と続編に分けられ、全40巻。
『大鏡』(11世紀末):紀伝体で最初の鏡物、『今鏡』『水鏡』『増鏡』を合わせ『四鏡』と言う。
『今昔物語集』(1115):日本現存する最大の説話集として、全31巻、欠脱3巻、天竺、震旦、本朝の三部構成。主に庶民、武士の生活を生き生きと写した。昔の社会、風俗の研究によって、貴重な材料として、重視される。文章は新文体で書かれており、各章ごとに「今は昔」という言葉で始まって、中世の和漢混交文の先駆ともなっている。
『土佐日記』(935):紀貫之が女性の名を仮託し、仮名文字で書いた日本の最初の日記である。女性仮託の意図は官人的な立場を離れ、自由に無遠慮に表現しようとして、自己を放棄して束縛のない世界に身をおくためであった。仮名文日記文学という新しいジャンルを創造した。
『蜻蛉日記』:974年に、作者は藤原道綱の母である。3巻から成って、自照流の女流日記の先駆として、心理をつぶさに描写し、精緻な芸術的香気の高い筆致は『源氏物語』に大きな影響を与えた。
『和泉式部日記』:1007年、和泉式部が書いた物語風の日記である。日記とも物語とも読めるところに特質な性格がある。
『紫式部日記』:1010年、紫式部が書いた日記である。日記の中に、和泉式部、清少納言(猛烈)などに批評した。
『更級日記』:1060年、菅原孝標の娘に書かれた自伝的日記である。
『枕草子』:1001年に、清少納言が書いた随筆である。日本最初の随筆、平安女性文学の最高傑作として、『源氏物語』と併称され、「古典文学の双璧」と呼ばれる。特に、随筆文学という新しいジャンルを創造した意義が大きく、中世の『方丈記』、『徒然草』とを「三大随筆」と呼ばれる。内容から三種類に分けられている。
1、類聚的章段:「ものづくし」と呼ばれる段で、作者の鋭い感性のままに、同類のものを列挙し、感性を述べたものである。
2、日記的章段:豪華な宮廷生活への回想であり、日記回想章段とも言う。
3、随想的章段:自然や人事についての感想を自由に書いたのである。
清少納言の文学思想は、徹底的な貴族主義であり、貴族社会に対する無条件擁護である。日本文学者はいつも清少納言を自然美の愛好者で、美の世界の礼賛者であると称えているが、彼女の美観は貴族階級の美であり、決して人民大衆の美ではなかった。「もののあはれ」という源氏物語に対して、「をかし」の文学である。
源氏物語と枕草子
| 史的評価 | 内容 | 作者 | 成立 | 書 |
| 最初の随筆 三大随筆の一つ 「をかし」の文学 | 宮中での見聞や事物に関する評言などを自由な筆致で綴った随筆 | 清少納言 中宮定子に出仕 | 1001年頃 | 枕草子 |
| 物語文学の集大成 日本文化全体への影響大 「あはれ」の文学 | 虚構の貴族社会を舞台として写実的に愛の諸相を描いた物語 | 紫式部 中宮彰子に出仕 | 1008年頃 | 源氏物語 |
『千載和歌集』:1188年、藤原俊成に編集され、勅撰和歌集の一つであり、全20巻、歌数は1288首で、略して『千載集』である。
『梁塵秘抄』:12世紀後半に後白河法王に編纂された雑芸である。当時流行していた今様や催馬楽などの歌謡を集めたのである。
中世の文学(鎌倉、室町時代)
文学概観:中世は鎌倉幕府成立から(1192年)、江戸幕府成立まで(1603年)の約400年間の歴史を指し、源頼朝が鎌倉幕府を開いた。政治史には、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、安土·桃山時代に分けられている。新旧文化の結合を基盤とした文学貴族文化と武家文化と相互に影響しあって融合した。文化的には、一般庶民の文化も歴史の舞台に登場し始めた。中世初期、武士が実権を握るようになり、貴族らは没落しつつあり、貴族は先代の優美繊細な文化憧れを抱き、『新古今和歌集』が編集された。その以後、貴族が退廃しつつある。中世は新仏教誕生の時代で、文学には仏教の無常観(「諸行無常」と「因果応報」)が深く作家の頭に浸透し、この理念の影響によって、隠者文学が生まれた。中世は説話の時代と言え、ことに中世初期は説話の黄金時代であり、文芸の中心は僧侣や隠者などの知識人で、たくさんの世俗説話集と仏教説話集が生まれた。集団制作の傾向があって、軍記物語や連歌などが出た。
軍記物語:鎌倉時代から室町時代にかけて書かれた歴史上の合戦を題材とした文芸であり、武勇伝や恋愛などを後世に伝えるための物語である。軍記物、戦記物語とも言う。当時の戦乱を直接、或いは間接的に体験した人々の話や記録をもとにして、乱世に生きる人間群像を生き生きと描いてきた。俗語や方言を加え、和漢混交文でドラマチックに語るスタイル。
『草庵の文学』:中世に入ってから、日本文学史上で現れた独特な一連の文学者が営んだ文学である。特徴としては、これらの人たちがほとんど里を離れた寂しい所に、草ぶきの小屋を結んで閑居する。精神状態は現実世界に対して、否定的であり、消極的である。
「幽玄」:現実社会を遠く離れ、人々が容易に探り知ることが出来ない理想郷である。
「連歌」:和歌の上の句と下の句をそれぞれ別人が詠んで、一首に纏め上げた詩歌の一種である、連歌は平易大衆的な奇智問答的滑稽味を帯びた楽しい遊戯的な性格を有する。
「随筆」:随筆を書いたのは、公家の末流で、ことに隠者となった人々である。
「能」:一定の筋を持つ劇形態の芸能を言う。室町初期に田楽などを基にして観阿弥·世阿弥の父子によって大成された劇になった。日本の演劇の初めである。能と狂言の両者を含めた呼称として「能楽」や「能言」という。能の五角色は「神、男、女、狂、鬼」である。「幽玄」(花)を美的理念として、象徴的、夢幻的に演出する。代表作は花伝書(世阿弥)である。
「狂言」:庶民喜劇で、能とともに中世を代表する古典芸能として現代まで継承されている。台詞本意で写実的傾向が強い。猿楽の卑俗な滑稽な部分を演劇的に表現したものが狂言である。風刺的な要素があったが、世態風俗への辛辣な批判の形を取るようになる。狂言は、能の中間で、ストーリーを説明したり、能の進行を補助したりして上演された。脇狂言、大名狂言、小名狂言などに分類され、能と異なり、仮面をつけることはほとんどない。室町時代に成立し、内容は室町時代の世相を笑いの面からとらえた現実的性格の文学。「をかしみ」を主な美的理念として、写実的要素が強い。
「小歌」:室町小歌とも言われ、鎌倉時代から室町時代にかけて広く民間に流行した歌謡である。小歌は狂言の中にも多く見られ、これを狂言小歌と言う。小歌は民謡風の歌で、規則がなく、用語も自由で、平易流暢な口語を用いる。内容は庶民の日常生活、特に恋愛を歌うものが多い。代表作は『閑吟集』、『隆達小歌集』、狂言と同じく、農民、庶民自身の文学である。
「草子文学」:室町時代を中心に行われた通俗小説で、内容は童話風作品で、形式はおおむね短編で、絵巻ものが多い。草子文学は庶民、町人のイデオロギーを反映するもので、文学としては幼稚であるが、庶民に愛され、庶民によって育まれた文学である。主な作品は『文正草子』、『浦島太郎』、『酒呑童子』、『一寸法師』などがある。内容から細分すると、仮名草子(全用假名书写)、浮世草子、草双紙、読本、洒落本、滑稽本、人情本などがある。
『新古今和歌集』:1201年に後鳥羽院が命じ、1205年に20巻が成立、以後切り継ぎが行われた勅撰和歌集である。源通具、藤原有家、同定家、同家隆、同雅経、寂蓮法師が編纂され、短歌ばかり約1980首の和歌を収録、万葉集の歌は収めるが、古今集らの勅撰集の歌は載せず、当代の歌人の歌に重点が置かれる。『万葉集』、『古今集』と並び「三大歌集」と称され、「幽玄」という理念が完成され、新古今調と呼ばれる時代的特色を打ち出した。
『新古今和歌集』の歌風は、「新古今調」と呼ばれ、縁語、掛詞が多く使われ、初句切れ、体言止めによって映像を鮮明にして、言外に豊かで複雑な余韻余情を漂わせている。(新古今集の特徴:部立ては、春·夏·秋·冬·恋など、古今集と共通のものがある他、神祇、釈教という宗教的なものを含むのが特徴だ。修辞法では、体言止め、初句切れ、三句切れが多く、きわめて精巧であり、特に本歌取りの技法が発達していた。歌風は、かつての王朝の華やかさへの回想や憧憬が強く感じられる。王朝文化が衰退していく現実を背景に、王朝を理想とする世界を追求しようとする姿勢が顕著である。)
三大歌集の比較
| 歌風 | 表現 | 修辞 | 調子 | 歌体 | |
| 雄大、素朴、男性的(ますらをぶり) | 直感的、 写生的 | 枕詞、 序詞 | 五七調、二句切れ、四句切れ | 長歌、短歌、旋頭歌 | 万葉 |
| 優美、雅、典雅、女性的(たをやめぶり) | 理知的、 技巧的 | 縁語、 掛詞、 比喩 | 七五調、 三句切れ | 短歌が主 | 古今 |
| 幽玄、有心、 | 感覚的、 物語的、絵画的 | 本歌取り体言止め | 七五調、初句切れ、三句切れ | 短歌 | 新古今 |
『金槐和歌集』:1213年に源実朝の私家集である。
『方丈記』:1212年に、鴨長明(歌人、随筆家、説話集編者)が書いた随筆である。作者には私家集として「鴨長明集」、歌論として「無名抄」、さらに説話集の「発心集」がある。内容から、序文、正文(五大事件)と、結語(自身に関する述懐)との三部からなり、「厭世的無常観」という世界観が反映された。古代的な宮廷作家の作品と違って、社会一般の出来事、一般庶民の生活圈にも広がっていたのである。作者は『方丈記』を通じて、人民の悲惨事をほとんどありのままに具体的に述べてみた。(積極的要素)『枕草子』、『徒然草』とともに、日本古典文学史上の三大随筆の一つである。散文詩とも言えるような韻律美を持っている。それに、故事出典の採用も適切であり、対偶、比喩などの技巧が巧みに運用された。(表現手法)
「原作」:ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと「またかくのごとし。」(逝川流水不绝,而水非原来模样。滞隅水且浮且结,那曾有久伫之例。世上的人和居所也是如此。)
——『方丈記』冒頭
『徒然草』:1331年に吉田兼好(歌人、随筆家)が書いた自然、社会、人間の有様に対する思いを述べた随筆である。作者は様々な社会現実に対して、好感を持たず、平和的、自由的な生活のしかたに憧憬を持って、「無常観」をなし、人生観は矛盾的であり、複雑なのである。全書は243段からなり、様々な人間像、人間心理、日常聞いたこと、見たこと、考えたことなどを書き写し、文体は洗練された美文であり、中世の余韻美、余情美が尊ばれている。『枕草子』、『方丈記』とともに、日本古典文学史上の三大随筆の一つである。
「原作」:つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
——『徒然草』序段
| 異 | 同 | |
| 方丈記 | 厭世的無常観 一般庶民の生活を書いた | 三大随筆の1つ 無常観を表す |
| 徒然草 | 無常観(だけ) 矛盾性を書いた | 三大随筆の1つ 無常観を表す |
| 作者 | 成立 | 内容 | 文体 | 特色 | |
| 枕草子 | 清少納言 | 1001年頃 | 約三百段 | 和文(雅文) | 「をかし」という知的な美的感覚 |
| 方丈記 | 鴨長明 | 1212年 | 序段(無常観による命題提示) 前段(五大災厄) 後段(自己省察) | 和漢混交文 | 厭世的無常観 |
| 徒然草 | 兼好法師 | 1330年頃 | 243段からなる。 | 擬古文·和漢混交文 | 無常の美を確立。 |
『平治物語』:鎌倉時代初期に成立し、平安末期の平治の乱を題材した軍記物語。
『平家物語』:鎌倉時代初期(13世紀中頃)に、『平曲』(琵琶法師という盲人の芸人が琵琶を伴奏して、『平家物語』を語り広めていく。)に改編された軍記物である。全12巻で、原平合戦を素材にして、前半は(巻6まで)平家の興隆を中心にした一族の栄華を語っており、後半は(巻7から)木曾の冠者義仲の京都進軍、源平数回の合戦を経て、平家が没落し、源氏が興起したことを書いて、「諸行無常」と「盛者必衰の理」をあらわす。文体は和漢混交文で、律文と散文を巧みに織り交ぜ場面に応じて変化の妙を極める。
『平家物語』の価値:軍記物語の最高傑作。仏教の無常観の上に立ちながら、盛者必衰の世界を描きあった。旧来の貴族社会を打ち破っていく武士の姿を躍動的に描いている。
『太平記』:14世紀半ばごろに成立し、40巻からなり、半世紀にわたる南北朝の抗争を描いたものである。仏教の無常観が底に流れている「平家物語」に対して、儒教の道徳観と仏教の因果論とが根底となっており、混乱の時代相や人間像を批判的に描き、『平家物語』にある叙事詩的な情緒に欠ける。武士道精神を主張し、後世の国民精神へ影響するところが大い。
『宇治拾遺物語』:鎌倉時代初期に成立し、全196編、説話文学の代表作である。
近世の文学(江戸時代、近世ともいう)
文学概観(江戸開府の1603~大政奉還の1867年):17世紀の初期、徳川家康が天下を統一し、これは日本封建の最後段階で、封建社会の完成期である。対外的には、中国、オランダ、朝鮮以外の国と貿易を断絶する鎖国を取り、国内的には、幕藩、身分制度を行う。 文化的には、印刷技術の進歩と寺子屋の発達が町人文学の誕生を促す。経済が飛躍的に発展したため、町人を中心とした庶民階級が強い経済力を背景に、文化・芸術の鑑賞、文学創作に参加するようになった。近世文学は、前半は上方(京都・大阪)を中心に展開し、後半は江戸を中心に展開する。前半は上方文学期、後半は江戸文学期と言う。上方文学時代(1603~1750)には、この時期を代表する文学者は談林派俳諧の松尾芭蕉、小説の井原西鶴、演劇の近松門左衛門である。上方時代に、俳諧は貞林派と談林派の俳諧で、小説は仮名草子、草双紙と浮世草子で、劇文学は人形浄瑠璃と歌舞伎が作り出した。江戸文学時代(1751~1867)には、子供を対象として低級な絵本である赤本や黒本の種類で、小説には黄表紙、洒落本で、韻文文学には俳諧(蕪村と一茶)で、読本に、人情本と滑稽本で、川柳と狂歌などが成立した。漢学(朱子学)と国学が対立した。江戸時代の文学理念としては、蕉風俳諧の「さび(寂寥的,古色古香的)」、「軽み(平易轻快的)」、町人文学に通じる通(通晓人情事故)・粋(风流的)など、様々がある。浄瑠璃に見られる「義理(人情忠义)」、読本に見られる「勧善懲悪」なども重視され、儒教の強い影響力を窺い知ることが出来る。
井原西鶴と浮世草子:浮世草子は当代の庶民の現実生活と人間模様の諸相を活写する小説で、西鶴が書いた現代的に小説、即ち町人を対象とした通俗的な小説を指す。井原西鶴は江戸時代の浮世草子、人形浄瑠璃作者、俳人で、別号は鶴永,二万翁です。彼は談林派俳諧の作者で、鋭い写実的精神を持って,人生の様々相を俳諧の手法で生き生きと表現した。西鶴の作品には主に町人生活を中心として描いたものが多い。現実生活において、人間の創意と工夫によって富と作るのを主張する。彼は人間の物欲や愛欲を汚れたものと見るのではなく,それは人間の本来の姿であり、生の動力であると大胆率直に肯定した。作品を性質上から分類すると、「好色物」、「町人物」、「武家物」、「雑話集」の4種類に分けられ、「好色物」と「町人物」は西鶴の得意な作品である。西鶴はまず『好色一代男』(1682年、小説、主人公は世之介と遊女の吉野)を発表し、あと『好色二代男』を発表し、それから『好色五人女』(1685年、小説、第一巻はお夏と清十郎の物語、巻二は樽屋おせんの物語、巻三はおさんと茂右衛門の物語、巻四は八百屋お七と吉三郎の物語、巻五はおまんと源五兵衛の物語である。)を書いた。西鶴は46歳に『日本永代蔵』(1688年、小説)を書いた。これは町人の世界について書かれた町人物である。その中に、成功譚もあれば、失敗譚もある。
読本:近世中・後期にわたる怪異あるいは伝奇的な小説で、絵を中心として、文章で説明を付けた絵本に対して、文章を中心として挿し絵を付けた読本と言う。上方を中心としたものを前期読本、江戸を中心としたものを後期読本と呼ぶ。
上田秋成と前期読本:前期読本は主に上方に流行、中国の短編小説をもととした伝奇小説である。18世紀中ごろ、最初の読本『英草紙』、その続編『繁野話』が読本の始祖と言われ、大阪の儒医都賀庭鐘に著された。上田秋成は歌人・国学者・読本作家で、1776年に中国の怪異小説をもとに『雨月物語』を書き、晩年の作『春雨物語』も注目された。
山東京伝と『忠臣水滸伝』:山東京伝は戯作者、浮世絵師。黄表紙の挿絵を描き、中国の『水滸伝』をまね、「翻案小説」と言われる『忠臣水滸伝』が出された。
竜沢馬琴と後期読本:竜沢馬琴は主に中国の小説をヒントにして、整然、組織化の構成の中に、勧善懲悪・因果応報の姿をはっきりと示した。代表作は『南総里見八犬伝』で、日本における空前の最大長編小説である。芸術的に竜沢馬琴独特の長所特色があるが、何しろ思想的に保守的であり、封建社会の衰亡期に出された封建制度、儒学論理の擁護代弁的な役割を果たす。馬琴は封建制度の擁護者であるとともに、儒教論理の代弁者である。
洒落本:一般的には小規模な作品であり、専ら遊里の世界を描写したものである、遊里文学とも言う。代表作には山東京伝の『通言総籬』である。
人情本:当時の市井の男女の退廃的な愛欲生活や遊里生活に対する描写である。代表作は為永春水の『春色梅児誉美』である。
滑稽本:笑いを目的として書かれた一般庶民の楽天小説である。代表作は十返舎一九の『東海道中膝栗毛』、式亭三馬の『浮世風呂』と『浮世床』である。
草双紙:17世紀後半から明治初期にかけて、赤本、黒本、青本、黄表紙、合巻の順序で展開した絵双紙を総称して草双紙という。その中には、赤本·黒本·青本は子供や婦人向き小型の絵本である。黄表紙は大人向き絵入りの短編小説で、代表作は恋川春町の『金々先生栄華夢』と山東京伝の『江戸生艶気樺焼』である。合巻は長編小説、何冊も合わせて出版するもので、代表作は柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』である。
俳諧:俳諧とは俳諧連歌の略語である。最初の俳諧集は『虚栗』である。
俳諧連歌→貞門(松永貞徳)→談林(西山宗因)→蕉風(芭蕉)→天明期・与謝蕪村→化政期・小林一茶→俳句
貞門俳諧:和歌の一種としてさせたのは松永貞徳である。後世が貞徳を中心とする俳諧一派を貞門と呼び、俳風は式目を守り、保守的で、滑稽的であるが、掛詞などの技巧を重視して、言語遊戯的であった。
談林俳諧:西山宗因を忠臣とする談林派で、自由な感性で俳諧に新風を吹き込んだ。俳諧を形式や連歌の伝統からして、自由奔放で大胆、軽妙洒脱な作風で一般庶民の姿を生き生きと映しだした。
芭蕉と蕉風:松尾芭蕉は後世に「俳聖」と呼ばれ、自然を愛し、風雅の精神を極め、大阪で客死した。芭蕉は現実に不満を持っていたが、直接に対処する勇気がなく、人生をすっかり逃避して、自然の世界に精神の救いを求め、孤独な魂を探求するより仕様がない。「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という名句を残した。芭蕉を中心とする俳諧の一派を蕉門と言う。
蕉門の成立:貞門(松永貞徳)→談林(西山宗因)→(结合自身)→蕉風(芭蕉)
蕉風の特徴:風雅の誠・不易(俳諧の本質の不易)流行(俳諧の形式の変化)・さび(俳句の姿)・しほり(俳句の心——追求真实)・ほそみ(俳句の色——古色古香)
代表作:「奥の細道」は東北各地を旅行した時の自然風物、人情などが簡潔な文体によって書かれたもので、紀行文の典型と言われている。
「原作」:月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり。舟の上に生涯をうかべ、馬の口をとらへて老を迎ふるものは、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。
——『奥の細道』冒頭
「芭蕉の句」:古池や蛙飛びこむみずのをと。 ——『春の日』
閑さや岩にしみ蟬の声。 ——『奥の細道』
蕉風の文学理念:芭蕉の築き上げた俳風と呼ぶが、芭蕉の根本的な姿は「風雅の誠」を追究するところにあった。それは自然と一体となることによって実践され、「造化にしたがひ造化にかくれ」を旨とする。そこから「不易流行」の思想や「さび・しほり・ほそみ」、連句における「にほひ」といった美意識が生まれたのである。芭蕉は西行·宗祗·利休といった先人の伝統を、新しい近世町人文化の中に新生命を吹きこんで、再生させたといえよう。
与謝蕪村と天明の俳諧:与謝蕪村は「芭蕉に帰れ」をスローガンとした俳諧復興の運動の代表的な俳人である。彼は俳人、画家であり、松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠の一人である、俳画の創始者でもあり、『蕉風回帰』を唱える。彼の作品は画家らしい美意識による印象鮮明で色彩豊かな句や、古典趣味の艷麗で浪漫的な句が多く、離俗的である。
小林一茶:一茶は民衆詩人として、彼の俳句の中に現れた階級的意識、政治的傾向性がはっきりしていた。強権に反抗し、弱い、貧しい者に熱く同情を寄せていた。一茶の詩は形式よりも内容を重視し、平易な言葉を使って、農民の方言なども巧みに運用した。「生活派の俳人」として高く評価している。農民としての野性と率直な感情で生活で自己を詠んだ。表現にも俗語や方言・擬態語などを自由に駆使し、特異な句境を開拓した。句集・日記・随筆も多く、「父の終焉日記」や「おらが春」などが有名である。
「一茶の句」:雀の子そこのけ。 ——『御馬が通る』
大蛍ゆらり。 ——『と通りけり』あり明や浅間の霧が膳這ぶ。
是がまあつひの栖が雪五尺。
狂歌:狂歌とは狂体の和歌という意味で、和歌の形式を借りて、洒落、滑稽、風刺を含んだ遊戯的な短歌である。
川柳:川柳は18世紀初め頃から流行した雑俳の前句が独詠句となったものである。柄井川柳(<前句付け>五七五)の特質は①季語や切れ字の制限がない;②人事が主で;③世相や人情を風刺する。
国学:『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』などの日本古代の書物を研究し、「四書五経」をはじめとする儒教の古典や仏典の研究を中心とする学問傾向を批判し、仏教や儒教が渡来する以前の古来の日本人の精神を明らかにしようとする学問である。
国学三大人:荷田春満、賀茂真淵と本居宣長を国学三大人と尊称している。荷田春満は『古事記』や『日本書紀』などの日本の古典を研究し、日本古来からの精神という国学思想を唱えた。春満の門人としての賀茂真淵は『万葉集』を研究し、万葉調を基にする和歌を確立した。本居宣長は真淵の弟子として、『古事記』を研究し、『日本書紀』を批判し、『古事記伝』を著した。天照大神と最高の神を確立し、『源氏物語』の本質を「もののあはれ」の表現と説き、日本文学の基本的な審美基調を創立した。
| 国学三大人 | 政治主张 |
| 本居宣長 | 排除佛教、儒教对日本文学的影响 |
| 賀茂真淵 | 提倡复古。排除中国文化对日本的影响 |
漢詩文:儒教の一つの朱子学は徳川家康に発展し、隠者としての石川丈山と元政は前期漢詩文の双璧だと称された。
近松門左衛門と浄瑠璃:人形浄瑠璃は操り人形と浄瑠璃の音曲とが総合された劇である。18世紀初めに竹本義太夫が浄瑠璃の節を創造し、彼のために、近松は優れた脚本を書いた。近松門左衛門は江戸中期の浄瑠璃の代表作家であり、『冥途の飛脚』(人気がある)、『世継曽我』、『曾我崎心中』など百二十の浄瑠璃作品を残した。
歌舞伎:歌舞伎は江戸時代に発達し、現在でも行われている台詞と音楽と舞踊を総合した日本の代表的な演劇である。17世紀のはじめ、出雲の阿国が始めた。17世紀の末(元禄时代・歌舞伎の完成期)、写実性を重んずるようになり、坂田藤十郎、市川団十郎などの名優が活躍した。歌舞伎の隆盛期に並木正三が活躍した。化政期のころ(歌舞伎の爛熟期)、四世鶴屋南北が当時の劇作家として有名で、代表作は『東海道四谷怪談』である。幕末から明治にかけて、優れた劇作家は河竹黙阿弥であり、江戸時代末期の歌舞伎作の集大成者として、『白浪物』、『鼠子紋東君新形』などの約360もの作品を残した。
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