
南京信息工程大学滨江学院花旗营校区
要旨:本論文で取り上げたのは日本の神道が古代から、日本の政治、経済、日常生活にどんな影響があるのか。神道の歴史、文化、について研究することである。日本の民族宗教は最初から自然信仰である。つまり精霊信仰である。自然の中にいる植物と動物が神になると信じている。
最初の神道は実に名前がない。公元500年の時。佛教は中国から日本に入って、佛教と言う言葉を區分するために、神道という言葉をつくった。だから『日本書纪』と『用明天皇纪』の中の‘天皇が佛教を信じて,神道を尊敬すると言う言葉で,神道が初めて表現された。
そこで本論文では、神道とはどのような宗教であるのか、日本人は神道にどんな感情を持っているのか。さらに、神道は日本人の生活にどんな巨大な影響を与えているのか。神道は現代日本の社会にまた存在の必要があるのか。などの問題ついて分析を加えようとするものである。しかし、日本固有の宗教である神道については、中国では神道の成立や教義、その歴史、その他神道に関する内容についてはほとんど知られていない。そこで、日本人の日常生活と神道の影響について論述する前に、神道について論述することとする。
はじめに:日本人の生活を見る時、その背後に宗教的なものがあることは明らかである。日常生活はもちろん、年間行事においても、宗教的なものが背景にある。宗教的なものには3つあると思われる。神道と仏教とキリスト教である。その中で日常生活に最大影響を与えているものは神道である。神道はよく知られているように、日本最古の宗教であり、日本独自の宗教でもある。他の2つの宗教は外来のもので、仏教は中国からキリスト教は欧米から受け入れたものである。
キーワード:宗教、神道、精神文化、年間
1.民間の重要な風習―七五三
十一月十五日は、七五三のお祝いの日です。七五三は、七歳(女の子)・五歳(男の子)・三歳(男女ともに)の時に行ないます。いつも満年齢でお祝いをしている人は、満年齢でされればいいですし、数え年で祝い事をしてきた方は、それでも大丈夫です。三歳の時は男女共に、五歳は男の子のお祝い。七歳は女の子のお祝いです。
七五三の時に、神社に行くときには、正装していきます。普段の生活を節約してまで高い晴れ着を子供に着せたのでしょうか。正確には、「男の魂」を五歳で「女の魂」を七歳の七五三で授ります。肉体的な男女の区別は、誕生した時にはっきりしていますが、精神の面での男女の区別は、この七五三のときに授る魂で決まります。この「男の魂」「女の魂」は、神社にお参りして授りますが、実はそれを授けて下さる神様は、その神社のご祭神ではありません。
また七五三の三歳の時のことは「髪置き」と言われています。しかしこの字を書くから意味が分かりにくいのです。子供は誕生後、お七夜の日から再び神様の懐に抱かれて育つと言われます。三歳の誕生日の時に、神様は懐からそっと出して、大地に置いて下さいます。つまり「髪置き」ではなく、「神様が、大地に置く=神置き」なのです。そしてその先、元気に人として過ごせるように、改めて魂を入れて下さいます。その魂を「三つ子の魂」といい、ことわざにも「三つ子の魂、百まで」といわれます。
その三つ子の魂に汚れなどがないか、七五三の三歳の時には、神様が見て下さるのです。だから男女ともに必要なのです。
2.日木の結婚式
日本の結婚式は四つの部分からなっている。つまりお見合い、結納、儀式、披露宴である。儀式の種類には、神仏に誓いを立てる神前式、キリスト教式、仏前式、知人と誓いを立てる人前式がある。キリストに誓う時は、「教会での結婚式」になり、神社で行う時は、その神社の守り神に誓う。これがいわゆる「神前結婚式」になるわけである。集まい頂いた皆さんの前で誓えば「人前結婚式」になる。神前結婚式は神道思想と密接な関係がある。本節はお見合いと結納を説明してみようと思われる。
お見合いの結婚はまず縁談である。社会が進歩につれ、お見合いの方式は以前と異なっている。両方の便利のために、場所と時間は過去のように形式にこだわらない。お見合いの結婚の方式は、付き合いの機会がない男女にとって、とても効き目がある方法である。お見合いをする双方が満足した後、続いて婚約するのである。「結納」は二つの家が縁を結ぶという意味を表す。贈り物は吉祥を象徴するもので、お祝いする意味が深い物品である。日本が島国なため、生活の品物の大部分が海から取られ、結納品も大部分が海洋からきた。
結納品の数量の上で、日本が中国古代の陽数信仰の影響を深く受け、双忌単をとって、婚約する贈り物も多く五品目、七品目、九品目である。日本人は奇数が感情の睦まじさ、家庭の円満だと思っている。日本人はこのように奇数を崇めて、禅宗と関係がある。禅宗は仏教の一流派である。日本の神道は仏教の精華を吸収する。例えば陰陽についての思想は神道と密接の関係がある。それに、日本人の結婚式では、結納品の数量は双忌単をとって、陰陽道との関係がはっきりしている。神道は日本人にそんなに深い影響を与える。
3.日本人と神道
日本人の心理には神道観が大きく影響し、日本の文化や社会などを理解するにはまず、日本人の宗教観を見る必要があると説明した。農業が発達した日本では自然現象に人々の暮らしが大きく左右されるため、自然神を共同体で崇め、村の安全や産業発達などを祈願したことに由来した神道の祭りは、共同体、社会、国といった集団の平和、安泰を願うためであり個人のためのものではないのだが、最近は日本でも個人主義が進み、神社でのご祈祷も個人中心のものが多いといった近年見られる問題点も挙げられた。
殆どの日本人は、人生を通して神社、仏閣などの複数の宗教施設へ行き人生の意義を確認、経験する一方、宗教を尋ねられると、多くが「無宗教」と答える、と説明すると、参加者からは、西洋人のもつ宗教の概念とは、大きくかけ離れていることへの驚きがうかがえた。
最後に、日本では複数の宗教が一人の人生に関わる例をあげ、社会と神道の繋がりの強さを述べた。神棚と仏壇が家の中で並んでいる風景、僧侶がたくさんのぬいぐるみをお祓いしている風景、東京国際空港の棟上式、大企業の会社内にある鳥居、そして神職が教化しているわけでもないのに毎年日本では約8千万人の人々が元旦に神社仏閣へ出向く様子などが写真で説明され、日本人参加者さえも新たな発見をしたようだった。質疑応答では「日本人の心のよりどころは実際どこにあるのか」「神社の意義は」「わび、さびの精神は宗教観から来るのか」など、アメリカ人から多くの興味深い質問があがった。
4.古神道
古神道は当時の世界の認識の仕方であると同時に、氏神信仰の下で祭政一致により共同体を維持し、部族を束ね治める政道の手法でもあった。やがて、部族の群雄割拠時代から国家形成に向かう時代へと歴史の歩が進む。こうして、各地の豪族別信仰は必然的に王朝制機構へと組み込まれて行くこととなった。これ以降の神道は、時代の最高権力者となった王を最高祭祀者とする祭政一致に組み込まれて具現することとなる。
この過程に古代史の最大政変が絡んでいるように思われる。いわゆる「国譲り政変」である。記紀神話の重要なメッセージは次の箇所にあるように思われる。その頃までの国土を支配していた国津神系出雲王朝に対して、天津神系天照王朝が天孫降臨してくることになった。天照王朝は出雲王朝に服従を説き、局地戦を交えつつ次第に平定していった。
興味深いことは、「国譲り政変」の特徴は、西欧史のユダヤ対反ユダヤの抗争史の如く天津神系が国津神系を戦争一辺倒により征服し、勝者側が敗者側を所払いしたのではなく、結果的に「大和」式に和睦手打ちしたことにある。こうして、新たな支配者として大和王朝時代が始まる。が、大和王朝とは、天津神系支配権の下に国津神系を組み敷いたものの、実質的には国津神系をそのまま取り込み協和するという世にも珍しい旧王朝と新王朝の妥協権力であった。ここに、日本式政治の特質が定まり、このDNAがその後の日本政治史を貫いていくことになったと思われる。
このことが、日本神道のその後の変容に大きく関係している。「国譲り政変」にも拘わらず、国津神系世界に連綿と形成発展されてきていた古神道はそのまま生き残り、やがて天津神系神道が確立されるに及び摺り合わせされていくことになった。
概要「王位を捨て、命を捨ててまで、民の安全と収穫を守ってくれた大国魂の神を大黒様、その後継者の事代主命を恵比寿様と称えて恵比寿大黒天の神思想を育んでいった」。
終わりに
現在の日本に必要なのは国家神道ではなく本来の神道です。とは言うものの明治~大正~昭和~平成の時代と共に状況こそ変化してきましたが、神道は日本人の生活そのものに深く関係しているのは確かです。みなさんも今度神社へ訪れる機会がございましたら、一度神殿を見回してみて下さい。必ずどこかにどのような神を祀ってあるかが書いてあります。それを知る事で、いつもの神社にまた一つ違った有り難みを感じます。また、それを感じる事が出来るのは、あなたが真の日本人であるからです。そして時代と共に変化こそするかもしれませんが、百年先千年先にも日本人の神道は続いていく事は間違いないのです。
